ワイエスと聞いてどうしても行きたくて、無理やり時間を作って観てきました。
東京四谷三丁目にある美術愛住館。
その名を聞いたときは初耳だなあと思ったのですが、調べてみれば開館して一年とのこと。道理ですね。
平日だというのに結構人がいて、驚きました。
目次
展示点数は40点。
集中して作品の世界にどっぷり浸かる観方をする場合、このくらいの数が私には多分MAX。
ちょうどよいボリュームでした。
最初に目に入った作品です。
色の美しさと配色の大胆さ、細部の繊細さ。
手前の景色はほぼ具体的な描写をしていないのに、ぼんやり何なのか伝わってくるのが不思議。
《さらされた場所》の習作はいくつか展示されていたのですが、気になったのは花の習作。
ほかの習作とはちがった細やかさと儚さがありました。
計量器の下の布の質感にため息(どれ観てもため息ついていたんですが)
水彩でどうやったらこんなんできるんですか…
いくつもある「オルソンの家」のなかで一番心に響いたのは、雪景色の中のオルソン家でした。
雪にけぶる煙突、薄く引いた色で表現された鈍色の空、積もった雪が地面の状態で一部色が変わっている表現。
厳しい暮らしと寒さが伝わってくるようです。
しかしふと、なぜか円山応挙の「雪松図屏風」を連想しました。あれもとても寒さを感じる絵だったのです。
一方、他の「オルソンの家」では一部の窓だけをリアルに描き、残りのあるべき窓を大胆に省略して描いています。
この描き方はプチ衝撃。
むしろ、省略した方が朽ちゆくオルソン家を描写できるのですね。
鉛筆の激しい筆致。
感情が高ぶるままに描いたのだろう、という解説。
会場で流されていたビデオの中で、ワイエスの息子さんが「父は激しい人で、水も絵の具も投げつけた」とのこと。
大胆な描線や筆使いはそういうことだったのかしら。
しかし、どの作品にも通底するのは、静謐さ。
激しさと静謐さの同居は何によるものだろうと考えます。
よくよく観ると、羽毛まで細かく描いている訳ではないのに、一本一本のそよぎまで感じられる恐ろしさ。
なんちゅううまさでしょう。
これどうやって描いたんでしょうか…
どういう順番で絵の具を扱えば、こんな滲みと擦れが出るんだろうと。
暗い部分はとても彩度が低いのに、確実に色が見える。
こんな風に低い彩度でぐっと暗くして、でも美しい空気を描きたいと思うのです。
《クリスティーナの世界》の背中が若く美しいのはなぜだろうと思っていたのですが、
背中は妻、髪はおば、靴は入手したもの。
腕と手だけがクリスティーナ本人なのですね。
お恥ずかしながら初めて知りました。
クリスティーナを通して、自分の中の世界を探っていったような気がします。
誰もいなくなったオルソン家の窓から観た景色が、寂寥感をさそいます。
画面の下半分が空白なのが、きょうだいときょうだいの住まいの死を暗示させるようで…
ワイエスの作品と対峙した時にくる、胸の奥の切なくて儚い部分をきゅっと捕まれ、涙腺を解かれるような感覚がとにかく謎で。
そして、惹かれてやまないのはなぜのだろうと考えていました。
行ったことのない土地、馴染みのない地形なのに、感じる懐かしさ。
生の作品を観て、筆致の激しさと濃さに驚きました。
とても優しく、でも、情熱も深い人だったのでしょう。
体が弱かったそうです。
命の儚さも痛いほど味わったのでしょう。
でも、まだまだ謎です。
模写すればわかるかしら。
… 模写できるかな。超絶難しそうです。
でも、うつしてみたいですね。